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大阪浪速の太鼓集団 「怒(いかり)」、頑張れ!

大阪浪速(なにわ)の太鼓集団 「怒(いかり)」

太鼓を通して、部落差別と立ち向かう!



 私は、太鼓が大好きです。打つのではなく、聞くのが、ですけど。
 本当は、打ちたいのですが、若き頃の、冷凍庫内の力仕事で、「テニスヒジ」を患い、
 時々、腕の肘(ヒジ)が、ズキズキ痛み、太鼓をたたくどころでは、ないのです。
 だから、聞くだけ、です。
 かわいらしい太鼓をひとつ、もってはいるのですが・・・。

  



 

 

 先日、久しぶりに「太鼓」を聞く機会がありました。
 大阪の「国立民族博物館」の、研究公演の催しでした。
 大阪浪速の太鼓集団 (いかり)」です。(←クリック)
 プロでは、ありません。仕事や学校の合間に練習し、休日に演奏活動しています。

 日本には、太鼓集団が5000もあるといわれています。打ち手は、10万人とも。
 彼ら「怒」が、他の演奏グループと大きく違うところは、
 大阪市浪速の被差別部落で結成され、今では、部落差別あらゆる差別・偏見をなくす活動
 の一環として、出自を隠すことなく、堂々と胸を張って、演奏活動をしていることです。

 浪速は、全国有数の、太鼓づくりの街です。
 部落産業である、皮革の街なのです。
 この太鼓の街を、伝統ある、この街を、太鼓の音色で語り伝えんとしているのです。
 日本で最初の、太鼓の演奏グループができたのも、この街です。
 

 「怒」というグループの名前は、差別に対する「怒り」の表現・・・・・だとばかり思っていました。
 でも、本当は、ある集会で司会者が、偶然に、演奏題目の「怒」を、グループ名と間違えてアナウンスしてしまった
 のが、いつの間にか、グループ名に定着してしまった。これが、真相だそうです。

 でも、演奏を聴いているうちに、差別に対する怒りが、体、顔、音、それこそ全体から噴出している感じでした。
 いつの間にか、「名は体を表す」存在になったのですネ。
 腕前は、荒削りですが、ほとんどプロ並みでした。

 演奏前に、グループの代表、OBで元リーダー、現役で副リーダーの3人によるトークがありました。
 このような、演出は始めての、経験です。
 グループ結成のエピソード、「怒」の名前の由来、部落差別に対する団員の認識、等々が語られました。
 その後で、10曲演奏されました。
 打ち手が10名、それに豊中のグループ「蛍(ほたる)」8名も加わり、総勢18名の演奏会でした。
 
 

 


 


 


 


 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 毎日放送でも、このグループがとりあげられ、テレビ放映されました。
 

 打てば響け!

 3月2日(日) 深夜0時30分放送

 かつて被差別部落に対する差別に立ち向かうためにスタートした太鼓集団「怒」に密着し、メンバーの交流を通して次世代へのメッセージの伝え方を考える。

 内 容

 大阪・浪速町にある太鼓集団「怒(いかり)」。この「怒」は被差別部落に対する差別に立ち向かうため、住民の有志が自ら「部落出身」であることを公表し、1987年にスタートした。
 当初は同じ地域の住人からの反発もあったが、20年の月日が経つとメンバーの太鼓の腕前も上がり、テレビに取り上げられたり、海外公演もこなすなど、プロなみの「メジャー集団」になった。
 果てには「怒塾(いかりじゅく)」といういわゆる「リトルリーグ」のような子供向けの太鼓養成集団もできるなど、着々とシステム化が進んでいる。
 しかし、順風満帆にスタイルが整う一方でこれまでにない悩みに直面している。
 それは世代とともに差別に立ち向かうために、この集団として伝えなければならないメッセージが希薄になっている。
 あからさまな差別が減っている中で、この集団は純粋に太鼓に憧れて入団し、差別について真剣に語ったことのない世代が増えつつある。
 30代のメンバー達は次の世代に当初の志をどう伝えるか思い悩んでいる。
 番組では、この「怒」を3ヶ月以上にわたって取材。

 1人の高校生とメンバーの交流を通して、次世代へのメッセージの伝え方を考える。
 また次世代に初めて就職差別の体験を告白し、表面上は見えなくなった高校生の就職差別の現状がどうなっているのか 検証する。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大衆から少しずつ離れている気がする、プロの太鼓集団?

 日本に、太鼓集団が5000もある中で、プロの集団もたくさん居ます。
 どれだけだけ居るのか、私には分かりません。
 でも、私の実感として、技術がうまくなり、名声も得て、公演回数も増え、
 中には海外公演もこなすようになっている集団は、私ら大衆から、どんどん離れていくような気がします。
 単なる、私のひがみであれば、まだ救われるのですが・・・?

 最初に私が聞いた演奏グループは、新潟の佐渡で結成された、プロの和太鼓集団、
 「鬼太鼓座(おんでこざ)」です。
 すごい迫力で、いまだに脳裏に浮かびます。私も太鼓うちになりたい、と思わせる「ど迫力」でした。
 1971年に、田耕(でんたがやす)氏[本名:田尻耕三(たじりこうぞう)]が、結成しました。

 残念ながら、田氏の独善的な指導方針と、他のメンバーとの間で深刻な意見対立が生じ、グループは、

 一度は休眠しました。田氏が佐渡から去った後、残されたメンバーはあらたに、
 「鼓童」として、それこそゼロからの再出発を始めました。
 「鼓動」は、今では海外公演もこなすまでに、成長したようです。
 なんということか、「月刊誌」まで発行する、企業体にまで成長したようですネ?


 



 田氏を支持したメンバーは、「鬼太鼓座(おんでこざ)」の名称を引き継ぎ、今では静岡県の富士市を拠点に
 活動しています。彼らもまた、世界を駆け回っています。
 尚、田市は、2001年4月に自動車事故で他界しました。

 
 

 「鬼太鼓座(おんでこざ)」、 「鼓動」で11年間活動を続けた、「林 英哲>(はやし えいてつ」氏は、ひとりで独立し、今では、世界でも、太鼓演奏者の第一人者として、高く評価されています。
 私も、数回、彼の演奏を聴きに行きました。
 特に、韓国の民族音楽「恨」とのコラボレーションは、今でも生々しく、記憶に残っています。
 1952年広島生まれ。なんと、私とおない年
 彼のCDは、4~5枚持っています。
 2000年春より、国立三重大学客員教授を勤めているそうです。


 



 そして、沖縄の太鼓集団、「残波大獅子太鼓(ざんぱゆふじしだいこ)」
 は、かなりユニークな太鼓集団です。団員は、わずか7名。それでも、世界を駆け巡る、日本の太鼓集団の

 小粒でピリリと辛い、南国独特の音色を解き放つ、まれな存在価値を誇っています。
 
 

 いずれも、当初の荒削りな、まだ技術的には未熟な当時とは、雲泥の差です。
 プロとして、会社運営として、立派に、成長しています。
 ただ、その分、私たち、金のない大衆にとって、聞くにも聞けない、遠い存在になってしまった感がしてなりません。

 
 だから、「怒」の公演は、無料でしたし、身近な存在として、気楽に聞けました。
 遠慮なく、演奏中も、写真を取らさせていただきました。ご無礼しました。
 今後とも、大衆芸能として、大衆の身近な存在として、アマとして、発展していくことを、期待します。




 
 
 
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プロフィール

    「ぎーやん」

Author:    「ぎーやん」
 定年を待たずに退職し、長年の夢だった「自給自足的生活」に、無謀にも挑戦しています。
 たった一人で、日夜、鳥獣と格闘しながら、「クーバフアーム」と名付けた里山を、試行錯誤しながら、切り盛りしています。場所は三重県の山奥。奥伊勢の一角です。
 おかげで今や、スリムな肉体に大変身。この1年で、10キロの体重減。なにやら栄養不足の影の声も・・・チラホラ?
 毎日を、上の写真のような笑顔ですごしたいものですネ。
この似顔絵は、元同僚の、招来猫子さんの作です。

連絡先 
(メール) giyan@ma.mctv.ne.jp   
   クーバフアーム所長   まで。

 

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