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今日(8/14)は、「終戦(敗戦)の日」?

今日(8/14)は、「終戦(敗戦)の日」



侵略の要(かなめ)

大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)

が壊滅した「記念日」です!




 お盆は、墓参りやなんやかんやらで、バタバタしますね。

 普段は簡素な山奥も、子供の歓声が聞えたり、バイクの音が響いたり、結構にぎやかです。

 夜には、アナクロニズム的な「盆踊り」を、超まじめに、踊ります。かなり、恥ずかしい、ですね。



 さて、今日は「終戦の日」ですよね。

 うそ!明日でしょう?って。

 そうでしたっけ?



 どうも、公式には明日、8月15日が、国が決めた「終戦の日」(終戦記念日)らしいね。

 理由は、玉音放送昭和天皇による、降伏しますよ、という朗読放送)により、

 日本の降伏が国民に公表された日、だからと?



 天皇の「ひと声」が、価値判断の基準、になるという「天皇制国家」らしい、といえばそれまでか?

 そして、この日には、、谷垣自民党総裁を筆頭に、右翼的「やから」が、靖国神社に、詣でるらしい。

 さすがに、菅内閣は、「全閣僚とも、参拝しない」らしいが。



 <靖国神社>菅首相と全17閣僚 終戦記念日には参拝せず

          8月10日20時50分配信 毎日新聞(抜粋)



  菅直人首相と全17閣僚が、15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しない見通しとなった。

 自民党政権では1980年に鈴木善幸内閣が「閣僚は首相と一緒に参拝する」と申し合わせ、

 85年に中曽根康弘首相(当時)の公式参拝が中国などの反発を招いて以降も、

 93年の非自民の細川護熙内閣を含め毎年、閣僚参拝が続いていた。

 記録の残る80年以降の30年間で閣僚の参拝者がゼロになるのは初めて。

 歴史認識問題で政権交代を印象づける形になった。



  菅首相は10日の記者会見で「首相在任中に靖国神社にお参りはしない。

 明確な姿勢を最初から示している」と改めて明言。

 岡田克也外相は6日の記者会見で「A級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社に閣僚が参拝するのは

 不適切」とすでに表明しており、残る16閣僚も10日の閣議後の記者会見で相次いで参拝しない考えを明らかにした。



                                    ・・・・・・・・・・略・・・・・

                                                     
  



        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・           



 今日の8月14日が、「終戦の日」だと、主張する人もいる。



 理由は、日本政府がポツダム宣言の受諾(無条件降伏の受諾)を、連合国各国に通告した日だから、と。

 これも、もっともらしい、理由ですよね。

 天皇よりも、政府を主体に、考えている。

 

 でも、国際的には、(9月2日)が、「終戦の日」です。

 この日は、日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日ですので。



                

 さて、私にとっては、8月14日は、侵略の要(かなめ)とも言うべき、「大阪陸軍造兵廠」(大阪砲兵工廠)が、壊滅させられた、「記念日」です。



 日本が、無条件降伏をした、8月14日に、最後の「大阪大空襲」が行われました。

 その攻撃目標は、今の大阪城公園にあった、「大阪砲兵工廠」でした。

 ここは、世界的にも悪名高い、東洋一の規模の、陸軍唯一の「大口径火砲の製造拠点」でした。

 主に火砲・戦車・弾薬類を開発・製造していました。



 8月14日午後、約150機のB-29の集中爆撃で、工廠は80%以上の施設が破壊され、その機能を失いました。

 1トン爆弾を700発、集中的に投下されました。

 この空襲では、「大阪砲兵工廠」に近接していた国鉄京橋駅で大きな被害を出したことから、

 「京橋空襲」とも呼ばれています。

 多くの非戦闘員が亡くなりました。今でも、「大阪大空襲裁判」が、行われているようです。



 8月14日の、「ポツダム宣言」受諾(無条件降伏の通告)と、「大阪砲兵工廠」の壊滅で、

 日本の侵略戦争に事実上、終止符がうたれたのです。

 だから私にとっては、8月14日の今日が、「終戦の日」なのです。



        下の写真は、旧化学分析場(1919年築)。最も大きな建物。

        弾薬や化学兵器の開発を行っていた。

        戦後は自衛隊の大阪地方連絡所が入居していた(1964年から1998 年まで)が、

        今は使われていない、ただの廃墟。

        全ての窓が、ベニヤ板で塞がれています。

 



        JR大阪城公園駅周辺の、ピンク色の部分が、「大阪砲兵工廠」の敷地です。

        1945 年8月頃の最大工員数は、約6万4000人であった、らしい。

 



 「大阪砲兵工廠」の痕跡を残す建物などを巡る、「平和ツアー」なども取り組まれているようです。



            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 「夜を賭けて」(梁石日ヤン・ソギル著)に衝撃



 私が、この「大阪砲兵工廠」のことを知ったのは、「夜を賭けて」(1994年出版 梁石日ヤン・ソギル 著)を読んでからです。

 実際に「アパッチ族」の一員であった、在日朝鮮人作家の梁石日は、リアルに、当時のことを描いています。

 まさに衝撃的でした。







 映画も見ました。



 



 



 

 

 「アパッチ族」というのは、どんな人々のことですか?ですって。

 爆撃された「大阪砲兵工廠」の跡地には、膨大な鉄くずと、それに混ざり不発弾が大量に埋もれていました。

 行政は、あまりに危険すぎて、20年間放置を続けます。



 その間隙をぬって、「アパッチ族」といわれた人たちが、工場の敷地に、夜な夜な忍び込み、

 残骸の鉄くずを奪い合い、売りさばき、生活の糧としていたのです。

 彼らは、主に近隣の在日コリアンでした。

 警官との間に「捕物合戦」を繰り広げ、まさに生活と命を賭けて、「夜を賭け抜けた」のです。



 本当に、衝撃的な本との、出合いでした。

 痛快な本であると同時に、深刻な内容の本でもありました。

 当時の在日コリアンの現状が分かると同時に、「大阪砲兵工廠」のもつ歴史的意義にも、触れることができました。

 それまで、「大阪砲兵工廠」のことは、何も知らなかったので、勉強になりました。

 

 開高健が1959年に発表した小説『日本三文オペラ』は、当時「アパッチ族」と呼ばれたこの人々を描いたものです。







 小松左京も1964年に発表した初めての長編SF小説、『日本アパッチ族』では、

 当時まで残っていた跡地を、社会と隔離した“追放区”として登場させています。







 2009年9月に明石家さんま主演で世田谷パブリックシアターで初演された、

 生瀬勝久作の『ワルシャワの鼻』も、この「アパッチ族」を描いたものであるらしい。



 暑くて、畑仕事がはかどらないときには、これらの本を再読してみようかな、と思っています。

 

 



 
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プロフィール

    「ぎーやん」

Author:    「ぎーやん」
 定年を待たずに退職し、長年の夢だった「自給自足的生活」に、無謀にも挑戦しています。
 たった一人で、日夜、鳥獣と格闘しながら、「クーバフアーム」と名付けた里山を、試行錯誤しながら、切り盛りしています。場所は三重県の山奥。奥伊勢の一角です。
 おかげで今や、スリムな肉体に大変身。この1年で、10キロの体重減。なにやら栄養不足の影の声も・・・チラホラ?
 毎日を、上の写真のような笑顔ですごしたいものですネ。
この似顔絵は、元同僚の、招来猫子さんの作です。

連絡先 
(メール) giyan@ma.mctv.ne.jp   
   クーバフアーム所長   まで。

 

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