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6月28日は、「ゲバラ復活の日」(かな?)

6月28日は、「ゲバラ復活の日」

                                                        (2010・06・27記)

 我がクーバフアームのシンボルゲバラです。

 私は6月28日は、「ゲバラ復活の日」として、朝からゲバラを讃えた歌を聞くことにしています。



 チェ・ゲバラの讃歌、ラテン語で 「Hasta Siempre Comandante」 という曲です。

 この曲は、世界各国で、いろんな人たちが歌っています。

 キラパジュンたちがゲバラに捧げた曲が聞けるのがこちらの文化サイトです。

 ダウンロード自由です。



【ニコニコ動画】--Hasta Siempre, Comandante--



 この「復活の日」にちなんで、皆さんが疑問に思っておられるであろう10点を、「一問一答」形式にしてみました。

 なんせ、雨ばかりで、小屋に待機している、待ち時間が長いものだから・・・・?









 ①なぜ、「復活の日」と命名したの?



 それは、この日に、30年間も行方知れずであったチェ・ゲバラ遺体が、発見(発掘)されたからです。

 再び大衆の前に、公然と姿を現したのです。たとえ、骨だけとはいえ・・・。

 ゲバラはよみがえり、我がクーバフアームのシンボルとして、燦然(さんぜん)と輝いています。

 若干、宗教的だって?まあ、許してちょ!

 どこかのお国のような「個人崇拝」とは違う(と思う)から。

 だから、6月28日は、我がフアームでは、ゲバラの「第二の誕生日」と位置づけ、「ゲバラ復活の日」と命名したわけです。



 しかし、になる男だね!男が、男に惚れるねえ!

 あのジョンレノンですら「世界一、かっこいい男」と、言ったとか。



 

 



 ②ゲバラはなぜつかまり、誰に殺されたの?



 キューバ革命を成し遂げたゲバラは、いろいろ複雑な理由がありますが、カストロと相談の上で、

 新たな革命を求めてボリビアにおもむきました。

 今度サッカーで、日本と対戦する「パラグアイ」の隣国です。

 しかし、ボリビアではゲバラに批判的な親ソ蓮派ボリビア共産党の協力が得られず、

 カストロからの援助もとどこおり、

 また農民も革命に興味を持たず、孤立しました。

 その上、ボリビア政府軍は、元ナチスドイツの親衛隊の軍人を顧問にし、

 アメリカからの武器援助とグリーンベレーによる訓練をうけた「精鋭部隊」を持っていました。



 1967年10月8日、ゲバラら20名は、アンデス山中のチューロ渓谷で、

 ボリビア政府軍の襲撃を受け、ゲバラは捕まりました。



 



 7キロ離れたイゲラ村に連行され、小学校に収容されました。



 



 翌朝、ボリビア大統領は、捕虜にするのではなく、射殺の命令を出しました。

 当然、国際法違反です。

 政府軍兵士の軍曹に、左胸と首の根元を3発撃たれましたが、絶命せず、他の兵士に心臓を撃たれ、死亡しました。

 死後、兵士がいくら目を閉じようとしても、決して閉じませんでした。



 ③誰が、どうして、30年間も遺体を隠し続けたの?



 遺体はヘリコプターで、近くの町(バージエグランデ)に運ばれ、住民に「ゲリラのリーダが死んだ証拠」

 として見せ物にされました。

 写真でもわかるように、まるでキリストのようだったので、中には胸で十字をきる住民もいました。



 

 

 その後ボリビア政府は、ひそかにゲバラの遺体を運び、埋めたのです。

 埋めた地が、反政府の「聖地」になることを恐れ、「遺体は行方不明」という公式発表で、

 ボリビア政府は、30年間も世界にウソをつき続けました。



 ④どうやって、遺体をみつけたの?



 遺体の埋葬に立ち会った元兵士が、老い先が短いことから、「このままでは永遠に謎になる」

 として、埋葬場所を白状しました。

 大慌てのボリビア政府でしたが、いずれわかることだから、ということで、

 逆に観光名所にして外貨を稼ごうという姑息な判断で、発掘に全面協力したのです。

 それから2年間かけ、キューバとボリビアの合同調査隊により、ついに遺骨が発見されました。



 



 



 ⑤その遺体は、どうしたの?今、どこに安置されているの?



 遺骨は直ちにキューバに空輸され、ゲバラゆかりの地・サンタクララで国葬にされました。

 遺骨は、そこに建てられた彼の霊廟(れいびょう)に保存されています。



 



 



 ⑥ゲバラの家族は、どうしているの?



  1956年、最初の妻、イルダ・ガデアとの間に 長女イルディタが誕生しました。

  残念ながら、前妻イルダは1970年に、長女イルディタは1995年に他界しています。父親と同じ39歳のことでした。

  二番目の妻アレイダとの間には4人の子供がいます。



 



 60年代に撮影されたゲバラの家族。右から、アレイダ ちゃん、エルネスト くんをひざに乗せたHilda ちゃん、

 セリア ちゃんをひざに乗せたアレイダ夫人、カミロ くん。

 

 



 

 片時の時間を見つけて、ゲバラは子供たちと遊びました。

 ほとんどそんな時間はありませんでしたが・・。

 

 

 妻とのツーショット。

 



 次女のアレイダ(母親と同じ名前)は、父ゲバラと同じく医師になりました。

 アレルギー専門の小児科医です。

 2008年5月に来日し、各地で公演を行いました。

 広島も訪れています。



 



 妻のアレイダが、自伝を出版しました。そのときの記者会見です。

 日本でも『わが夫、チェ・ゲバラ』と、いうタイトルで出版されました。1900円です。

 



 



  2007年10月8日、父親エルネスト・チェ・ゲバラの遺骨が眠るサンタクララまで、

  首都ハバナからハーレー・ダビッドソンで向かうゲバラの末息子エルネスト

 





 ⑦どうして、髭(ひげ)を生やして、いつも葉巻をくわえているの?



 



 ゲリラたちは、ジャングルが生活の中心ですから、常に蚊やブヨに悩まされました。

 おまけに、風呂嫌いのゲバラですから。(まあ、風呂なんて入ることはないのかもしれませんが)

 きっと、常時、体中から汗が噴出していたことでしょう、蚊の好きなにおいをプンプンさせながら。

 だから、蚊取り線香代わりに、ハマキの煙で虫を退散させていたのです。

 喘息のゲバラにとっては、きつい選択だったでしょうね。



 ひげも同じ理由です。防虫ネットの代わりに、ひげを生やしていたのです。

 いつのまにか、これらがゲリラたちの、戦闘スタイルに定着していきました。



 ⑧日本に来たことがあるの?



 1959年7月15日、ゲバラはキューバの使節団を引き連れて日本を訪れています。

 トヨタ自動車工場や新三菱重工、久保田鉄工堺工場、等々を見学しました。

 通商のために帝国ホテルで、池田勇人通産相15分間のみの会談を行いました。

 まるで池田は、キューバを見下したような、立ち話のような会談でした。



 7月24日に大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くない事を知り、翌日、神戸の川崎造船所を視察した後に、

 予定を変更して全日空機で岩国空港に飛びました。

 広島県庁職員が案内する下、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、

 原爆資料館原爆病院を訪れました。



 



 娘のアレイダ・ゲバラも、2008年5月に、原爆死没者慰霊碑を訪れています。



 



 ゲバラの広島行に関しては、宿を密かに抜け出して夜行列車で広島に向かったというもありますが、

 この説を裏付ける確たる証拠はなく、当時の通訳であった広島県外事課見口健蔵氏が、

 飛行機での公式の来訪を語っているほか、1972年の段階で広島県総務課には当時の記録も残っています。



 このとき、中国新聞の記者であった林立雄氏が単独取材したときに、

 「なぜ日本人はアメリカに対して、原爆投下の責任を問わないのか」とゲバラは言ったそうです。



 ゲバラが広島の状況をキューバに伝えて以来、

 キューバでは現在でも、初等教育広島と長崎への原爆投下をとりあげています。

 だから、キューバで「8月6日と9日は何の日か、知っている?」と聞けば、即座に正答が帰ってきます。

 日本の子供ですら、まともな回答が返ってこないというのに・・・・。

 



 ⑨ゲバラの残した「言葉」で、印象的なのは、なにですか?



 ゲバラの有名な言葉を集め、編集した本『元気がでる ゲバラ語録』が出版されています。

 関心のある人は、是非それを読んでください。



 

 今の情勢の中では、次の言葉が好きですね。



 「いずれにしても、僕は銃をとるつもりだ。

 正義を勝ち取るための武装だ。

 ヤンキーどもに、他人の家に土足で勝手に入れないことをわからせるために闘うのだ。

                                                1954 グアテマラにて。」



⑩どうして、クーバフアームのシンボルなの?



 言葉にすると、白々しくなります。無理に理屈をこねているようで。

 一言で表現すれば、ゲバラの「ピュアな精神」に惚れた、とでもいいましょうか。



 革命のリーダでありながら、何事においても、自分から率先して行動し、どんな苦労をもいとわなかった。

 喘息でありながら、最後の最後までに頼らず、自分の体を痛め、鍛えぬき、強靭な精神力を身につけた。

 私と同じく、放浪の旅が好きだった。

 「世界の憲兵」をうぬぼれるアメリカに、世界中の資源を略奪するアメリカに、

 途上国の革命を弾圧するアメリカに、化石燃料を食い荒らすアメリカに、

 侵略国家アメリカに、それこそどんな犠牲をもいとわずに、家族まで犠牲にして、徹底して、戦った。



 理屈ではないのです。生き様が、好きなのです。

 不撓不屈の精神を持ったゲバラを心の支えにして、今後もクーバフアームを切り開いていきたい。

 だから、ゲバラはクーバフアームのシンボルなのです。



 



 



 



 

 



 

 

 

 
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プロフィール

    「ぎーやん」

Author:    「ぎーやん」
 定年を待たずに退職し、長年の夢だった「自給自足的生活」に、無謀にも挑戦しています。
 たった一人で、日夜、鳥獣と格闘しながら、「クーバフアーム」と名付けた里山を、試行錯誤しながら、切り盛りしています。場所は三重県の山奥。奥伊勢の一角です。
 おかげで今や、スリムな肉体に大変身。この1年で、10キロの体重減。なにやら栄養不足の影の声も・・・チラホラ?
 毎日を、上の写真のような笑顔ですごしたいものですネ。
この似顔絵は、元同僚の、招来猫子さんの作です。

連絡先 
(メール) giyan@ma.mctv.ne.jp   
   クーバフアーム所長   まで。

 

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