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「吹田事件」58周年と、私の誕生日(6月25日)

今日は「吹田騒擾(ソウジョウ)事件」の58周年

そして私の58回目の誕生日 

                                                             (2010・06・25記)

 



 今日は、私の58回目の誕生日です。(1952.06.25生誕)

 44歳の4月4日に、「心筋梗塞」で倒れてから、はや14年以上がたちました。

 まだ「幸運の女神」は、健在のようです。

 「私」から「私自身」に、おめでとう、といってあげましょう。



 昨日、姪から、一日早い「誕生日のプレゼント」をいただきました。

 チェ・ゲバラの図柄のバンダナです。

 さすが私のことをよく理解してくれてる。ありがとう。

 頭に巻くのはもったいないので、しばらくはクーバフアームの事務所の貴賓席に、飾っておきます。

 

 



 この日を迎えると、決まって私は、二つの歴史的事件が頭の中に浮かびます。



 ひとつは、1950年6月25日のことです。

 「朝鮮戦争」が勃発した日です。



 第二次世界大戦後、アメリカのプッシュで成立した大韓民国(韓国)と、

 ソ蓮のプッシュで成立した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で、

 朝鮮半島の主権を巡って、「戦争」になりました。



 1953年7月27日の「休戦協定」まで、全土が戦場となり、

 家族や親戚同士が敵と味方に別れ、殺しあうという、悲惨な結果になりました。

 今でも国家は二つに分断されたままです。

 

 歴史にイフという言葉は禁物ですが、日本がもし南北に分断されていたら、と思うと

 (実際に、その可能性は大きかった)

 我が肉親同士が、親戚同士が、友人・知人同士が、あい争う羽目になっていたはずです。

 

 韓国側にはアメリカイギリスオーストラリア、ベルギーやタイ王国などが、そして後には日本が、

 北朝鮮側には中国ソ蓮が支援国になりました。



 最近のマスコミは、北朝鮮は「悪魔だ」方式の、誇大宣伝、デマ宣伝がまかり通っています。

 「天安艦沈没事件」では、戦争当事国の一方である韓国側に「味方」している国のみで構成された

 「調査団」の「報告書」を鵜呑みにした、「北憎し」のキャンペーンを行っています。

 この「報告書」は随所に、疑問点が噴出しており、決して鵜呑みにできない、というのが心ある人々の

 共通の認識です。



 一応「停戦」が続いているものの、今でも「戦争状態」であることには、違いがありません。

 この「停戦」を破ろうとする、マスコミや韓国政府の「北挑発」の危険な動きには、惑わされてはなりません。

 私は、この「停戦」以前の、「実戦」が行われている真っ最中に誕生したのです。



 もうひとつは、1952年6月25日「吹田騒擾事件」です。

 特に、この事件の現場は、私の大阪の家のごく近辺での出来事なので、関心が非常に強いのです。

 日常的に、それこそ毎日のように「事件現場」を、通っていました。

 また、私が産湯を浴びていた、まさにその時刻の出来事なのです。



 朝鮮戦争と戦争協力に反対して、労働者・学生・在日朝鮮人が、

 豊中の阪大キャンパスでの大規模な集会と、その後の徹夜での反戦デモを貫徹しましたが、

 それが「騒擾罪」(いまでいう騒乱罪)として権力によってでっち上げられました

 裁判では、騒擾罪は認められずに、勝利しました。



 少し長文ですが、フリー百科辞典「ウィキペディア」から、そのまま事件の概要を引用します。

 

 1952 年6月24日夕方、大阪府豊中市にある大阪大学豊中キャンパスで「伊丹基地粉砕・反戦独立の夕」が大阪府学生自治会連合によって開催された。学生、労働者、農民、女性、在日朝鮮人など約1000人(参加者数には800人から3000人まで諸説ある)が参加した。集会では「朝鮮戦争の即時休戦、軍事基地反対、アメリカ軍帰れ、軍事輸送と軍需産業再開反対、再軍備徴兵反対、破防法反対」などのアピールが採択された。集会終了後、米軍用貨物列車の輸送拠点となっていた吹田操車場までデモを行うことになった。集会参加者は西国街道経由で箕面へ向かい、吹田に南下する「山越部隊」と阪急宝塚本線石橋駅から臨時列車を動かし、服部駅から吹田に向かう「電車部隊」に分かれて行動した。人数は山越部隊の方が多かった。



 山越部隊は警察予備隊豊中通信所の横を通り、午前2時ごろ三島郡豊川村に到着した。ここで山越部隊は「ファシスト打倒」と称して笹川良一宅に投石したり、棒きれで玄関の扉を損傷させている。笹川良一本人は留守で、けが人はなかった。休憩後、山越部隊は南下して国鉄労働組合吹田支部の中野新太郎邸に立ち寄り、庭で竹槍を振り回したり障子を破ったりしたが、けが人はなかった。



 一方、電車部隊は大阪大学近くの石橋駅に入ったが、最終電車が発車した後だったため、駅長に臨時列車の発車を強要した。駅長はやむなく運賃徴収の上、臨時列車を発車させることになった。電車部隊は梅田駅と石橋駅の間の服部駅で全員が下車し、旧伊丹街道の裏道経由でデモを行い、6 月25日午前5時ごろ三島郡山田村(現吹田市山田南)で山越部隊との合流を果たした。この間、警察は電車部隊が梅田駅に向かうと予想し、梅田で警官隊を待機させていたが、電車部隊が服部駅で下車したため行方を見失い、山越部隊についても電車部隊の対応をしている間に見失っていた。



 合流後、デモ隊は南下し須佐之男命神社に到着した。神社前には吹田市警察や国家地方警察の警官隊が警備線を張っていたが、警察指揮者との交渉をデモ隊が受け入れなかったため、警察隊は警備線を解き、デモ隊に道を譲った。大阪地方検察庁は、この時にデモ隊が暴徒と化して突進し、暴力で警備線を突破したと主張して騒乱罪を適用した。しかし証拠写真[1]や警察指揮者の証言からデモ隊が暴徒化した事実がないことが明らかになった。また合法的なデモに警察が警備線を張る法的根拠はなかった。このため後の裁判で被告人全員が騒擾罪無罪となることになった。



 須佐之男命神社から南下したデモ隊は、午前6時ごろ国鉄東海道本線岸辺駅経由で吹田操車場に入った。デモ隊は操車場内で「戦争反対」「軍用臨時列車を止めろ」などのシュプレヒコールをあげながらデモを行ったが、軍用列車は事前に移動させられていた。吹田操車場から出たデモ隊は吹田駅に向かった。



 これらデモ隊の行動について、検察は暴徒そのものだとしたが、デモを見ていた人たちは「うさぎ狩りのようでした」などという証言もあった[2]。



 その途中、京都方面に向かっていた在大津南西司令官カーター・W・クラーク陸軍准将の車に石や硫酸ビンを投げ、クラーク准将は顔に全治2週間の傷を負った。また午前7時ごろ茨木市警察のウィーポン車にむかって、7・8名のデモ参加者が石や火炎瓶を投げて、転げ落ちた警官が火傷や打撲傷を負った。この後、デモ隊は道路沿いにある駐在所や派出所に投石した[3]。



 デモ隊は西口改札から吹田駅に入り、同駅で流れ解散となった。吹田駅の助役は裁判時に「デモ隊が順調に乗ってくれたので、うまいこといきましたなと駅長とも話していた」[4]と証言している。解散したデモ参加者らは大阪行き8時7分発の列車に乗車しようとした。そこに約30人の警察官が追いつき、デモ隊と衝突した。これによりホームは大混乱となり、デモ参加者や一般乗客に負傷者が出た。事件では200人を超える大量逮捕が行われ、111人が騒擾罪で起訴された(被告人の1人が裁判中に死去、1人は韓国に強制送還され行方不明となったため最終的に109人)。



 検察は、警察がピストルによって重傷を負わせたデモ参加者4人を起訴していない。列車内で撃たれたデモ参加者は吹田市を相手として賠償請求訴訟を起こし、裁判所は警察官の職権乱用を認め、吹田市も承認している[5]。なお検察は「拳銃発射は暴徒のうちにもこれを行ったものがあり、これら負傷のすべてが警察官の発射した」[6]ものとは言い難いと主張していたが、証拠がなく現場にいた警察官、第三者証人だれも証言していないため、根拠が乏しいとされ裁判で認められなかった。







 この事件については、『大阪で闘った朝鮮戦争』(西村秀樹著)が、一番おもしろかったですね。

 これまで明らかにされてこなかった、関係者からの「新事実の証言」が随所に書かれており、

 機会があれば是非一読してください。



 



 なにはともあれ、今でも朝鮮半島は1950年来の「戦争状態」にある事実、

 在日米軍は、そのときから今日まで、日本を出撃の前進基地にしている事実、

 について、もう一度、6月25日を記念して、頭に刻み込んでください。



 なお、「吹田騒擾事件」には、在日朝鮮人の詩人・金時鐘(キム・シジヨン)がリーダーの一員として

 参加していました。

 金時鐘は、現在の大阪城公園にあった「大阪造幣廠」を舞台に、金属片を集めるアパッチ族のモデル

 として有名です。在日作家、梁石日(ヤン・ソギル)『夜を賭けて』を映画化して、山本太郎が、彼を演じています。



 



 また、開高健『日本三文オペラ』で、金時鐘をモデルに、

 アパッチ族を小説にしています。



 

 小松左京『日本アパッチ族』で、同様に扱っています。



 



 この三冊は、歴史的事実としてはかなりショッキングなことをあつかっていますが、

 とても痛快で面白く、時の権力と対峙していた在日朝鮮人の心意気が、見事に描かれています。

 文庫本ですので、是非、読んでみてください。

 古本で、100円前後です。私は『日本三文オペラ』を50円で買いました。

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プロフィール

    「ぎーやん」

Author:    「ぎーやん」
 定年を待たずに退職し、長年の夢だった「自給自足的生活」に、無謀にも挑戦しています。
 たった一人で、日夜、鳥獣と格闘しながら、「クーバフアーム」と名付けた里山を、試行錯誤しながら、切り盛りしています。場所は三重県の山奥。奥伊勢の一角です。
 おかげで今や、スリムな肉体に大変身。この1年で、10キロの体重減。なにやら栄養不足の影の声も・・・チラホラ?
 毎日を、上の写真のような笑顔ですごしたいものですネ。
この似顔絵は、元同僚の、招来猫子さんの作です。

連絡先 
(メール) giyan@ma.mctv.ne.jp   
   クーバフアーム所長   まで。

 

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