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「宮川」が、またもや清流日本一に!

「宮川」が、またもや清流日本一だって



 昨日(7/29)、国土交通省が2009年の「河川ランキング」を発表しました。

 これは、調査条件を満たす、165の一級河川の、「水質汚濁の調査」結果だそうです。

 そこで、宮川が4年連続で、しかも9回目一位だそうです。(8つの河川が一位)

 早い話が、「水がとてもきれいだ。

 それも、日本で一番に。」と言うことでしょうか?



 ということは、宮川の最大の支流である、我がフアームの所在地の「大内山川」も、

 とってもきれいだ、ということでしょうね?



 さらに付け加えれば、その「大内山川」に流れている、

 我がフアーム横の谷川の水(私が毎日生活水として使っている)は、

 さらに「きれいだ」ということですよね。



 そりゃそうでしょう。なんせ、清流にしか棲まない「プラナリア」が大量に生息していますからね。



 ということで、まずそのきれいな谷川の「風景」の一部を紹介しましょう。



 最初の3枚は、私の大好きな風景で、大雨の後でしか、現れない景色です。

 「幻の風景」と、命名しております。

 透明な水に、心が癒されませんか?

 



 



 



 下の3枚の風景は、いつでも見ることが、できます。

 小さなですが、我がフアーム関係者ぐらいしか、訪れません。

 



 



 



 大雨の後の、「砂防ダム」です。

 普段は、水はなく、「鹿の遊び場」になっています。

 でも、雨のあとは、ご覧のとおりです。

 幻想的でしょう!

 でも、これを見るのは、私と、あと数人程度?

 大阪じゃ、金を出しても、見れへんのになあ。

 



 



 



 



 次に、「大内山川」の源流を紹介しましょう。

 源流部には、V字渓谷が連なる「犬戻り峡」などがあります。

 大阪の友人たちにいつも言っていますが、ここは、「箕面の滝」にも負けへんで。

 ただ、の数では、はるかに負けるけど・・・。



 



 



 















 



 







 「清流日本一」があるという事は、「清流どんけつ」もあるいうことですね。

 ちなみに、どんけつ(ワースト1位)は、利根川水系の「綾瀬川」です。

 ワースト2位は、同じく利根川水系の「中川」です。

 ワースト3位は大阪・奈良の「大和川」。ワースト4位は、大阪・兵庫の「猪名川」です。



 「大和川」は、私の前の職場の近くを、「猪名川」は、大阪の住居の近くを流れている河川です。

 日本で一番汚いと思われる河川流域から、一番きれいだと称されている河川流域への、移動です。



 付け加えれば、宮川の隣を流れる「櫛田川」は、10位でした。

 一位が8つの河川でしたから、「櫛田川」は日本で三番目にきれいだ、という理屈になりますね。

 三重県では、雲出川が17位、鈴鹿川が28位ですから、概して河川はきれいだ、ということです。



 最後に二言。

 「日本一」をとると、次もまた「日本一を」というプレッシャーが、

 宮川流域の人たちの中に、なんとなく感じられます。

 それが自己目的化されているようで、あまり自然じゃないような気がしますねん・・・。

 「二位やったら、なんであかんねん?」と、誰かが言ってましたね。

 「国土交通省」に、あまり踊らされないように!ね!

 

 それと、最近大内山川の源流ちかくで、鮎が死んでいる、という。

 不気味だね!、と、お年寄りたちが、ささやいています。

 うわさでは、ごみの最終処分を行うための新たな処理施設、「香肌奥伊勢エコ・ランド」

 ができてからだ、という。

 大きな問題にならなければいいですが・・・。

 そのうち、見学にでもいきますかね。

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白骨のカラス君、誰に襲われたの?

何者かに襲われた、我が天敵の、カラス君。



 久しぶりの雨、それも大雨

 最初は、乾ききった大地に、それこそ「最初の一杯のビール」のごとく、ごくごくと吸い込まれていきますが、

 度を過ぎると、逆に、大地からあふれかえってきます。

 ビールを飲んだ後の、我輩の、「小便」のように・・・?。

 

 各地で大雨による災害が、「報道」されています。

 自然は、決して、人間の自由には、なりませんね。

 逆に、人間が自然に対して余計な事をすると、反撃を食らいます。

 天災という名の、反撃を。

 各地の災害も、この反撃がずいぶんあるのでは?

 

 さて、雨が小降りになってきたので、久しぶりに「砂防ダム」を見に行きました。

 多少、水がたまっていますが、たいした量ではありません。



 



 谷川の水量も、思ったよりは、少ないようです。

 こちらでは、たいして降らなかったみたいですね。

 



 



 砂防ダムに行く途中に、白骨化したカラスを見つけました。

 骨と羽根が散乱しています。肉は、きれいにありませんでした。

 山道で発見したのは、初めてです。

 天敵の鷹(たか)にでも襲われたのでしょうか?

 そういえば、最近、鷹がよくカラスのねぐら付近を、旋回しています。

 

 



 



 

 残されたくちばしの大きさ、形状からして、「ハシボソガラス」ではないかと?



  



 



 私の天敵が、一匹減ったわけですが、なんだか可愛そうでもありますね。



 カラスほど、人間の評価が、天地ほど分かれるのも、珍しいですね。

 悪魔の化身とか、神の使い手とか。

 日本では、ホトンドが、悪魔の化身のごとく扱います。



 確かに腐肉をあさるし、黒色がなんだか喪服のイメージだし、葬式の時の写真が黒枠だし、

 その上、知能がずば抜けて高いから、不気味だし。

 闇夜に真っ黒なカラスと遭遇したら、あなたなら、きっと腰を抜かしますで。



 記憶力がいいから、霊長類に匹敵する、とまで言われているらしい。

 テレビで見たけど、クルミをわざと車にひかせて、中身を食らうらしいですね。

 鳴き声で、意思疎通をおこなっているのは、私の経験上、確からしい。

 どうも、人間の顔も、識別しているみたいだ。

 若干、恐ろしいね、に回すと。



 でも、「日本サッカー協会」では、三本足の「八咫烏」(やたがらす)がシンボルですよね。

 どうも「八咫烏」は、『熊野那智神社』で祀られている、神の使い手らしい。「古事記伝」によると。



 どうして、サッカー協会は、このカラスをシンボルにしたのかな?

  誰か、教えて。

 足が3本あって、ボールを蹴るのに便利だから、なんて言ったら、私は怒るで。



 



 ぞうり履きで山に行ったので、ヒル4匹にたかられました。

 そのうちの1匹に、指と指の間を、見事に吸われました。



 



 



 この雨で一番元気なのが、我が小屋の前の、バナナの木(?)です。

 一日で、数十センチは成長します。

 日除けには、最適です。

 



 



 



  翌日の朝、収穫した野菜です。

 水分を思い切り吸い込んだあとですので、みずみずしいですね。

 初めて、白いナスビニガウリを収穫しました。

 味は、後で堪能しますね。

 

 



 



 



 

  

 



 

DAYS JAPAN の「三重・写真展」の紹介。

私の一押しの「三重・写真展」の紹介





「地球の上に生きる2010」

DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展 in三重



 8月25日(水)~30日(月)  

                 三重県 津センターパレス地下 市民オープンステージ



 この長たらしい表題の「写真展」が、我が地元、三重県で開催されます。

 応援団の一員として、「是非、近隣の方はのぞいてください。参観、無料ですよ!」と、声を大にして叫びますね。

 別に、大阪から来てもええよ。



 

    第6回DAYS 国際フオットジャナリズム大賞1位「ケニアの干ばつ」(ステフアノ・ルイジ)(イタリア)



 案内のチラシです。(←クリックすれば、出てくるはずです。)



 そもそも「DAYS JAPAN」て、何?

 実は、これ、「写真を中心にした情報の月刊誌」の名前なんです。

 ほとんどの人は、知らへんやろな。小さな本屋さんでは、めったにお目にかかれへんし。

 我が町では、購読している人は、何人もおらへんやろな?

 前の職場には、10名ほどの定期購読者がいましたね。



 でも、ジャーナリストの間では、超有名な「フォトジャーナリズム月刊誌」です。

 もちろん、さまざまな運動に関わっている人は、みな知っている(らしい)。

 この誌を見ると、今世界で何が起こっているか、写真を通じて知ることができますよ。

 かなりショッキングな写真が、多数あります。



 編集長が「広河隆一」さんという、方です。

 私の前職場の、前事務局長Mさんの、幼馴染です。

 この方は、かなり有名らしい。「坂本龍一」と同じくらいに(?)。



 しかし、月刊誌が、出版業界で生き残るのは、至難の業です。

 この誌も、昨年、廃刊の瀬戸際に追い込まれました。

 開き直って、誌存続のために定期購読者10000名獲得

 (当時は6000名しか、購読者がいなかった。)のキャンペーンをはりました。

 この叫びが、支持者の間に伝わり、今では定期購読者9845名(7月15日現在)になりました。

 あと155人で、目標達成です。

 こんな、やり方は、初めてです。

 やはり、内容がすばらしいから、誌を残せ、と言う声が強いのでしょうね。



 もしよければ、あなたも定期購読者になってやってください。

 方法は、「DAYS JAPAN」のホームページを見てください。

 

 ちなみに8月号の特集は「イルカを獲ってなぜが悪いのか」です。



 



 今回の「写真展」は、「DAYS JAPAN」が世界中から公募する

 「DAYS JAPAN 国際フオットジャーナリズム大賞」の、2010年度受賞作品約70点の、展覧会です。 あわせて、過去1年間の『DAYS JAPAN』誌上に発表された中から選ばれた、写真30点も展示されます。

 

 

酷暑を乗り切れ!私の野菜たちよ。

どうにか育っていますよ。私の、野菜たちが。



 炎天下のもと、水分不足の気もしますが、何とか私の野菜たちが、元気に育っています。

 毎日毎日、「これでもか」というぐらい、私の胃袋に収まっています。野菜、オンリーですが。

 その野菜たちの、成長の様子の一部を、紹介します。

 

 オクラがようやく、胃に収まるまでに育ちました。

 薄くスライスして、味醤油をかけて、食べます。

 ヌルヌルして、納豆みたいです。

 これは、緑色のオクラです。

 



 このオクラは、紫色です。

 緑色オクラよりも、噛んだ時、固い気がします。(?)

 



 ナスビもどうにか育ちました。

 遅い霜で、幾分かは被害にあいましたが、

 これは、姪にもらった苗が育ったものです。

 普通のナスビですね。

 



 このナスビは、色白です。

 色白だけに、育ちが遅かったので、心配していましたが、ようやく実がなりました。

 最近、ミツバチをよく見かけます。うまく受粉しているようです。

 それにしても、スベスベして、いい肌触りだね。思わず、触りたくなります。

 白ナスビ、早く味わいたい!どんな、味やろ。

 



 



 落花生が元気です。

 難波(なにわ)の黄門さんの、置き土産の種から成長しました。

 初めての育成なので、段取りがよく分かりません。

 いつ頃、実がついて、いつ頃食べられるんやろ?、

 

 



 ボチャがいつの間にか、大きくなりました。

 相変わらず、頑丈そうな皮ですね。実の下に、しきわらを置きました。

 



 



 つるなしインゲンを植えました。

 見る間に、こんなに大きくなりました。

 



 つる紫です。

 この1本だけ、2メートルぐらい育っています。

 この苗1本だけ、店で購入したものです。

 



 あとの苗は、姪からいただいたもので、まだ子供ですね。

 



 ピーマンが、相変わらず、次々に取れます。

 ピーマンは、そんなに食いきれませんね。申し訳ないけど・・・・。

 

 



 ニガウです。

 ゴーヤチャンプルにして、夏場を乗り切ろう、かな?

 



 さて、これらの野菜を使っての、今晩の、私のおかずです。



 サラダですね。オクラのスライス、唐辛子のぶつ切り、キュウリのスライス、にんじんつる紫。(5種類の野菜)

 



 キュウリナスビぬかづけです。

 



 



  ジャガイモを煮ました。

  塩を振りまいて、食べます。

 



  ナスビを油で炒めました。

 



 本当に、野菜オンリーですね。栄養が、片寄りすぎていませんか?前の職場の栄養士さん!

 

 

「7月26日運動」(カストロの革命)を記憶に!

キューバのフアンは「7月26日運動」を覚えていような!



 今日は7月26日、暑い、暑い夏ですが、キューバのフアンは、この日を絶対に忘れてはダメですよ。

 「7月26日運動」(Movimiento 26 de Julio; M-26-7)(Movement of July 26th)というのを、覚えていてください。



 これは、実は「革命家の組織」の名前なんです。



 ギョ!なんて、驚かないでください。日本ではありません。キューバです。

 

                        下の旗は、この組織のです、。シンプルですね。                 

 



 フィデル・カストロが、1959年に、メキシコに亡命していた82名の同志で結成(正しくは、再結成)したグループです。

 当時のキューバの政権であった、アメリカの言いなりの「バティスタ政権」の転覆を目的に、結成されました。

 フィデル・カストロを筆頭に、弟のラウル(現在のキューバの国家評議会議長)、

 チェ・ゲバラカミロ・シエンフェゴス等々が参加しています。

 早い話が、1956年12月2日に、ヨット「グランマ号」で、 メキシコからキューバに上陸したメンバーの組織です。



 どうして「7月26日運動」なんて、変な名前なの?と誰でも思うでしょうね。



 組織の起源は、1953年7月26日にカストロが決行した「モンカダ兵営襲撃」に由ります。



 私が1歳の時のことです。



 この襲撃を実行したのが、カストロ率いる130名の武装組織でした。

 もともとこの組織が「7月26日運動」なのです。

 でも襲撃したメンバーのうち、80人以上が死に、フィデルは逮捕されました。

 組織は事実上、壊滅でした。

 このあたりのことは、カストロが本を執筆中らしいので、楽しみにしておきます。



 だから、メキシコでは再結成された、というのが、正しいのでしょう。



 とにもかくにも、この「7月26日運動」という組織が、キューバ革命の原動力でした。

 今のキューバ共産党母体となりました。



 



 



 「7月26日運動」のは、現在もキューバ革命軍制服の肩に、革命のシンボルとして使用さています。



 7月26日を、記憶の片隅にでもいいから、とどめておいてください。

 キューバのフアンは、絶対にこの日を忘れないで!



 私の手元には、カストロ関連の本は、三冊しかありません。

 だれか、他のカストロ関係の本で、安く譲ってくれる人はいませんか?



 



 



 

 



 



広島を電撃訪問したゲバラ。(51年前の今日)。

今日(7/25)は、ゲバラの「広島訪問」から、51年目です。

8月6日と8月9日の「原爆投下」を、再度、思い起こそう!

  



 今日は、朝から「ゲバラ賛歌」のyu tubeを見ながら(聞きながら)ブログを更新しています。





 1959年7月15日、キューバ革命からわずか半年後

 チェ・ゲバラは、使節団を引き連れて、団長として日本を訪問しています。(31歳のときです)

 このことは、唯一「朝日新聞」が取り上げただけで、ほぼマスコミは無視しました。



 23日には、愛知県のトヨタ自動車工場や、新三菱重工の飛行機製作の現場を見学。

 24日には久保田鉄工・堺工場を見学し、丸紅、鐘紡と回って、

 夕方には、大阪商工会議所主催のパーティーに出席しました。 

 

 当時、ゲバラは日本では無名に近く、通産相の池田隼人とは、わずか15分だけ面会しただけでした。

 今から思えば、ずいぶん非礼な扱いを受けたようです。

 (でも、翌年には日本とキューバの通商協定が締結され、現在も継続中です。)



 ゲバラは、当初の日本大使館側が準備した「無名戦士の墓詣で」を拒否し、

 逆に「ヒロシマ訪問」を主張しました。当然、日本大使館のスタッフはこれを嫌がりました。

 でも、ゲバラはこれを説き伏せました。

 

 24日に大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くない事を知り、ゲバラは「ゲリラ作戦」を敢行しました。

 翌日(25日)、神戸の川崎造船所を視察した後に、

 オマール・フェルナンデス大尉とマリオ・アルスガライ駐日大使を伴って、全日空機で岩国空港に飛びました。



 (このあたりについては、公式訪問であったとか、なかったとか、

 夜行列車で行ったとか、飛行機でとんだとか、諸説があります。

 念のため、下にフリー百貨事典の「ウイキペデイア」と、

 毎日新聞の記事を引用しておきます。)



 しかし、問題は、どんな手段を使ってヒロシマに行ったかではなく、行った事実が重要なのです。



 ゲバラは、広島県庁職員案内の下、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、

 原爆資料館原爆病院を訪れました。















 中国新聞の記者であった林立雄氏が単独取材したさいに、

 「なぜ日本人はアメリカに対して、原爆投下の責任を問わないのか」と、ゲバラは言ったそうです。



 ゲバラが広島の状況に驚愕し、その事実をキューバに帰って報告して以来、

 キューバでは現在でも、初等教育で広島と長崎への原爆投下をとりあげています。

 教科書で何ページにもわたって記載されています。日本とは大違いです。



 このあたりのことは、「炎の記憶~原爆の残り火をキューバに~」

 というDVDを見てもらえれば、よくわかります。

 これは吉田沙由里さん(NPO法人アテナ・ジャパン代表)が、広島の原爆投下時の残り火である平和の火を、

 キューバに運び、永遠に保存しようとする活動の紹介の番組です。 

 私に連絡くだされば、入手することができます。



 

                                (写真は阪南中央病院労働組合ホームページより)



  日本では、「8月6日」「8月9日」が忘れ去られる傾向があるだけに、

 キューバの教育のすばらしさに、目を見張るものがあります。

 (もちろん、キューバの教育はすべて無料であることを付け加えておきます。)



 カストロも2003年に、広島を訪問し、慰霊碑に顕花しています。



 

                                (写真は阪南中央病院労働組合ホームページより)



 アレイダ・ゲバラも2008年5月に原爆死没者慰霊碑を訪れています。



 

                    

  ゲバラはともすれば、ゲリラ戦の闘士だから、平和のことについては、関心が薄いと勘違いされますが

  じつな、誰よりも強く平和をのぞみ、アメリカの原爆投下を厳しく断罪していたのです。

  本日の7月25日を迎え、さらに8月を迎えるにあたり、ゲバラを尊敬する我輩としては、

  このことを、強く訴えたいと思います。


 

  「ウイキペデイア」から引用。



 『なお、このゲバラの広島行に関しては、市内のホテルで繊維業者と会う予定だったが、

宿を密かに抜け出して夜行列車で広島に向かったという説もある。



しかし、この説を裏付ける証拠はオマール・フェルナンデスの主張以外にはなく、

当時の通訳であった広島県外事課の見口健蔵が、飛行機での公式の来訪を語っているほか、

昭和47年の段階で広島県総務課には当時の記録も残っている。



当時の日本の状況で、日本語がまったくわからない3人がこっそり抜け出して夜行列車に乗ることの不自然さ、

無断で抜け出した場合の日本側の反応についての言及がないこと、

カストロが一時的に首相を辞職するといったキューバ本国の政治的混乱の中で、

使節団代表であるゲバラが、受け入れ国である日本政府や商工団体に対して

そのような配慮に欠ける行動をとるとは思えない点、

また、なによりもこっそり夜行列車で抜け出したにもかかわらず、

広島で県庁職員が待っているのは不自然でもあり、フェルナンデスの記憶違いである可能性が高い。』




 



《ゲバラ、訪日時に被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問》  

 

 [ 07年10月9日 毎日新聞 ]



 キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として1959年に来日し、

広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。

副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。

フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、

夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。



 ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。

訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。

7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。

アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、

日本政府の許可が出なかったという。

業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。

オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。



 「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、

私同様、チェも本当にショックを受けていた」とフェルナンデスさん。

帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に

「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。

カストロ議長は03年3月に広島を訪問。

フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。














畑を少しだけ、広げました。

畑の開墾を、やっと半分だけ終えました。



 計画していた雑草地の開墾作業も、二箇所のうち、一箇所がやっと終わりました。

 炎天下を避けながら、ちょっとずつ、耕しました。

 あまりにも、雑草が固く根を張っているので、クワを打ち下ろすたびに、ハアハアと息切れします。

 なにせ、化石燃料を使わない、「クワ一本」の、体力勝負ですから。

 「包丁一本、さらしに巻いて・・・」と、口ぶさみながら、「クワ一本」をドッコイショと、うち下ろします。

 



 



 少しエリアが広すぎるので、若干日和って、部分的に開墾することにしました。

 開墾場所を、丸太で仕切って、(丸太は山から失敬)、その部分だけ雑草を、引き抜くことにしました。

 



 



 草抜きばかりでは、いい加減、飽きてしまうので、途中で、鹿防止のネットを張りました。

 支柱を山から探してきて、打ち込んで、ネットをコメリで購入して、・・・。

 心臓が少しパクパクしています。暑い、暑い・・・・・・!

  



 どうにか完成のようです。

 あとは、消石灰をまいて、土を中和にして、日光で消毒です。

 でも、何を植えるか、実は考えていませんでした。

 



 



 今日は、褒美の、ご馳走です。 

 「つる紫」が大きくなったので、葉を塩でゆでてだし醤油で食べました。

 目っ茶、うまい。病み付きになりそうです。

 さしづめ、畑のワカメといったところです。

 どんどん、育っているので楽しみです

 

 



 ドジョウを川で取ってきました。

 焼酎に漬けて、酔っ払ったところを、鍋にいれ、火にかけます。

 アルコールが適当にしみこんで、うまい!

 栄養タプーリネ。

 



 ニワトリさんたちの、汗の結晶です。

 今は、日に3個、生産しています。



 



 



 タマゴかけ飯の、おいしいこと。味が濃い。

 



 



          こんな贅沢、うらやましいやろ。ハッ、ハッ、ハッ。

スイセン(毒)を料理した、石井好子さん、逝去!

シャンソン歌手、石井好子さん、逝去される!



 シャンソン歌手の石井好子さんが、すでに7月の17日に亡くなられていた、そうである。

 87歳だから、大往生というべきか。



 私が今回ブログで取り上げたのは、石井さんのフアンだとか、シャンソンを好きだから、というわけではない。

 もとより、演歌派の私は、シャンソンて、何のことかも、知らない。どうもフランスの歌謡曲らしいのだが?

 

 今回、取り上げた理由は、二つあります。



 第一に、私は、加藤登紀子のフアンです。

 その彼女のお師匠さんが、石井さんでした。

 加藤さんが、コメント(下に引用しました。)を発表しているので、つい引き寄せられました。



 第二に、スイセンの料理を家族に食べさせて、

 大失敗したという、私と同類だという、親近感からです。



 私が、スイセンをネギと間違えて、味噌汁の具にして食べて、七転八倒したことは、すでにブログで書きました。

 石井さんも、終戦直後、食糧難のある日のこと、昼食を作るのに、

 流しの下にあった、小ぶりのタマネギをスライスして、オムレツの具にして、家族に食べさせたという。

 父親がトイレに駆け込み、弟が吐き出すなどの、大騒動になったらしい。

 そのタマネギは、お隣からいただいたスイセンの球根だということが、あとから判明した。

                                       (私の失敗談 朝日新聞)



 ということで、歌とは何の関係もなしに、取り上げました。

 石井さんの関係者の方、フアンの方に、失礼をお詫びします。

 





                                             7月21日19時38分配信 毎日新聞

   訃報  石井好子さん87歳=シャンソン歌手の草分け



  

                               石井好子さん=1999年5月撮影



  シャンソン歌手の草分けとして、日本にシャンソンを定着させた

 石井好子(いしい・よしこ)さんが17日、肝不全のため死去した。

 87歳。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会が8月26日午前11時半、

 東京都千代田区内幸町1の1の1の帝国ホテル本館3階「富士の間」で開かれる。

 喪主は弟公一郎(こういちろう)さん。



  衆議院議長も務めた石井光次郎氏の次女として、東京・神田に生まれた。

 東京音楽学校(現・東京芸大)声楽科卒。1945年にジャズ歌手としてデビューし、

 50年に戦後初の留学生として渡米。 

 52年、パリに移ってシャンソン歌手として認められる。

 以来、日本のシャンソン界の第一人者としてステージに立ち続けてきた。



  ハスキーな声に人生の哀歓をにじませ、「枯葉」などシャンソンの名曲を日本に定着させる。

 晩年は、親友でもあったダミアの歌を得意とした。



  61年、音楽事務所を設立し、岸洋子、加藤登紀子さんら後進を育成。

 ベテランから若手までが総出演する、毎夏恒例のコンサート「パリ祭」のプロデュースを続けた。

 91年、日本シャンソン協会を設立して会長に就任。シャンソン界の振興に尽くした。



  料理にまつわる著書「巴里(パリ)の空の下オムレツのにおいは流れる」(63年、暮しの手帖社)

 で日本エッセイストクラブ賞を受賞。

 筆業、ラジオ番組のDJなど幅広く活躍し、フランスの文化の香りを日本に伝えた。

 87年紫綬褒章、92年、仏芸術文化勲章コマンドールを受章。



  今年4月、同協会長を退任。芦野宏さんを会長とする新体制が、発足したばかりだった。



                                      最終更新:7月21日19時38分 毎日新聞










 

石井好子さん死去 「大胆で自由な生き方」加藤登紀子さん



                                             7月21日19時51分配信 産経新聞



 シャンソン歌手、石井好子さんの訃報を受けて、弟子にあたる歌手の加藤登紀子さんが21日午後、追悼コメントを発表した。全文は以下の通り。



 日本アマチュアシャンソンコンクールの優勝から45年、

 歌手としての私をあたたかく見守って下さった最大の恩師です。



 突然の訃報に大きな衝撃を受けています。



 戦後いち早く女性歌手として世界の舞台に挑戦した大胆で自由な生き方は、

 私には大きなお手本でした。

 何よりうれしかったのは私の結婚の時の決断を全面的に応援して下さったことです。



 去年のパリ祭でステージに立たれた時お逢いしたのが最後になってしまいました。

 あの時の凛(りん)とした美しいお姿がしっかり心に残っています。

 最後まで、私達のお手本であり続けて下さった好子さんに、大きな拍手を送らせて下さい。



 ご冥福をお祈りします。



 加藤登紀子

美空ひばりの反戦歌  「一本の鉛筆」

美空ひばり 追悼にあたって



 美空ひばりがなくなって、もう21年が過ぎました。

 まだ、先日のような気がします。光陰矢のごとし、とはこういうものですね。

 (1989年6月24日午前0時28分 永眠。手術室で、全身麻酔をかけたまま。52歳でした。私の誕生日の前日なので、 忘れられません。)

 実は、明日の7月22日が、「告別式」の21周年なのです。



 どうして、今回、美空ひばりをブログで取り上げたのかって?

 演歌好きでは、私もかなりの者です。

 カラオケでは、演歌しか歌いません、というよりも、これしか歌えないのです。

 だから、ひばりのオンパレードになるのです。

 でも、今回は単なる好き者では、終わりません。

 今日は、「演歌」とは違った歌を、二曲ぜひとも紹介したいのです。



 まず一曲目は、「一本の鉛筆」という曲です。

 8月6日は、広島に原爆が投下された日ですね。

 じつは、MjukaのヘアデザイナーのJUNさんの、誕生日なのです。



 まだ少し早いのですが、誕生日のお祝いに、この歌を紹介します。



 この歌は、1974年「第一回広島平和音楽祭」で歌われた曲です。

 そして、亡くなる前年の1988年「第15回広島平和音楽祭」でも歌われました。

 そのときは体調もかなり悪く、楽屋にベットを持ち込み、点滴を打ちながらの出演でした。



 とにもかくにも、ひばりのレコーデイング曲1500曲、オリジナル曲517曲の中で、唯一の「反戦歌」なのです。 

 8月6日の原爆を忘れないためにも、この歌を聞いてください。You Tube で聞けます。





                         作詞;松山善三/作曲佐藤 勝

 

 当然、このようなマイナーな曲は、ヒットしませんでした。

 でも、ひばりにとっては、「もっとも大切な10曲の中の一つ」でした。

 7歳の時に、横浜でB29の空襲に遭遇しており、反戦平和には、相当な思い入れがあったようです。



 第一回目の音楽祭で、歌う前の口上で、「いばらの道が続こうと、平和のためにわれ歌う」と、宣言したのです。



 2005年の報道ステーション(2005年8月3日)と言う番組でも、取り上げられました。



 ひばりさんの意思を次いで、いまは「クミコ」さんが、歌われています。

 同じくYou Tube で聞けます。

 ついでに「祈り」と言う曲も、是非聞いてみてください。



 「広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった少女・佐々木禎子。

 命を尊び、平和の大切さを願いながら、悲しくも強く生きた“彼女の祈り”を唄った曲が完成。

 クミコが“大きな愛”を歌で紡ぎます!
」(クミコのオフィシャルサイトより)



 二曲目は、「武蔵流転」という曲です。

 この曲は、生前に歌われることはありませんでした。

 未発表だったのです。

 私が「宮本武蔵」の大フアンだという、単純な理由で、紹介します。



 この歌は、1986年に、NHKの演劇用に作られました。録音も終えていました。

 ところが、劇が上演されずじまいに終わりました。(詳しいいきさつは、わかりませんが。)

 でも、大河ドラマで「武蔵」がとりあげられ、その関連番組の挿入歌として、使うことになったようです。

 そして、ついにひばりの誕生日を記念して、2003年にCDが発売されたのです。

 

 



 ひばりの歌しか、カラオケでは歌わなかった、前の私の勤め先の、看護師のⅠさん。

 この歌も是非覚えてください。またカラオケに誘ってください。

 

 まあ、田岡・山口組組長との問題など、いろいろな批判も多々ありますが、

 ひばりの歌は、やはり永遠に不滅です。

ついに卵を産んだぞ!フアームの鶏さん。

やったぜ!ついにを産んだよ、にわとりさん。



 待ちに待った日がついに来ました。

 6羽にわとりのうち、一羽が初卵を産み落としました。

 誰が産んだか、分かりませんが、秀樹、いやちがった、園長、感激!!

 かわいらしいけど、それなりに大きい、タマゴです。

 姪に、初卵を「すする権利」が、授与されました。



 



 フアームに来たのは、4月6日。かれこれ3ケ月半が経ちました。

 姪一家がすべてお膳立てしてくれての、共同飼育です。

 えさは、姪がやってくれています。

 私は、主に「見張り番」と「雑用」でしょうか。カラスに襲われないように。

 

 この写真は、当地に来たばかりの「ひよこ」たちです。

 まあ、かわいらしいこと。

 

 



 それがいまや、こんなにたくましくなりました。



 



 見てください。このりりしい姿を。

 立派なトサカを。

 



 



 



 カラスに襲われ、重傷を負った**さんは、トサカとくちばしに後遺症が残っています。

 カラスの鳴き声が聞こえると、最大の警戒モーションになります。

 トラウマになっているようです。

 なんとか、がんばって、タマゴを生んでほしいものです。

 愛嬌があって、かわいいですね。



 



 明日からも、がんばって、タンパク質を、いやタマゴを産んでくださいね。



 

世間は連休。私は畑を開墾中。貧乏暇なし

世間は連休中。私は、新たに、畑を開墾中



 ラジオでは、高速道路の渋滞状況を、盛んに放送しています。

 そうか、世間は、連休中なんだ。

 私は、毎日連休中、なんてことは、ないですよ。

 毎日が、労働日、なんてことも、ないですがね。

 

 さて梅雨があけたので、いよいよ本格的に、畑作業に取りかかります。

 とはいえ、暑くならない早朝か、夕日が沈みかけた夕方か、のどちらかです。

 もっぱら、灼熱の昼間は、涼しい山に、こもります。

 

 今私は、雑草カヤとの闘いの合間をぬって、

 新たに、畑二ケ所を、開墾しています。

 雑草が、生い茂っているので、一度はクワを入れて、酸素を補給してやります。



 実はここに、昨年食いきれなかったジャガイモを、植えると言うよりは、捨てるがごとく、埋めておいたのです。

 それが、成長は悪いですが、小粒ながらも、たくさん取れました。

 ジャガイモを収穫するついでに、開墾している、と言うわけです。

 それがニケ所だったので、「新たにニケ所の開墾」と、なったわけです。



 最初の2枚の写真の場所は、まだ半分収穫と開墾が残っています。



  



 



 下の3枚の写真の場所は、かなり広いので、一部分だけ、開墾しようかと思っています。

 なんせ、くわ一本の体力勝負ですから、のんびりと、熱中症にならない程度に気張ります。

 



 



 



 開墾する部分を、丸太で仕切りました。

 この中を、とりあえずは畑にしようと言うわけです。



















 今日の収穫物です。トマトが取れるようになりました。

 



 昨日の収穫物です。

 



 やはり、が恋しい。贅沢な、悩みかも。

 お隣の「姪一家」は、連休中は、奈良に遠征(?)中。

 明日は、一人でドジョウでも取りにいくべえか

今日(7/18)は「ネルソン・マンデラの日」

今日(7/18)は「ネルソン・マンデラの日」です。



  暑い。梅雨明けのあとは、灼熱地獄。暑い!!暑い!!

  朝は、太陽が高く昇る前の、6時から9時までが勝負。この時間に、畑仕事を終えないと・・・。



  いつものように、熱中症対策のため、休憩をかねて、冷たいお茶を、ラジオを聞きながら、飲んでいると

  NHKのアナウンサーが、「今日は、ネルソン・マンデラの日です。」と言う。??

  そんな日があったけ?

  よく聞くと、なんと、今年が第一回目だそうです。へー。驚き!国連が定めたとか。

  ウソじゃない証拠に、ニュースそのものを引用しておきます。



  下の写真は、1998年の大統領時代のものです。

  



  初のネルソン・マンデラの日

                          NHKニュース 7月18日 10時2分 動画あり



 7月18日は、南アフリカで人種隔離政策=アパルトヘイトの撤廃運動を率いた

ネルソン・マンデラ氏をたたえようと、国連が定めた「ネルソン・マンデラの日」です。

国連のパン・ギムン事務総長は、「道を示し、世界を変えたマンデラ氏に心から感謝しよう」

とするメッセージを発表しました。



 アパルトヘイトの撤廃運動を率いたネルソン・マンデラ氏は、27年にわたる獄中生活を経て

南アフリカ初の黒人の大統領に就任し、340年余り続いた白人支配に終止符を打ちました。

国連は、この功績をたたえて去年11月、マンデラ氏の誕生日にあたる7月18日

「ネルソン・マンデラの日」として、人種差別への反対や国際平和を呼びかけていくことを決めました。

 そして、今回初めて迎える「ネルソン・マンデラの日」にあわせて、ヨハネスブルクにあるマンデラ氏の自宅には、

100人もの子どもたちが訪れ、いっしょに歌を歌ったりしてマンデラ氏の92回目の誕生日を祝いました。

 この日にあわせて国連のパン・ギムン事務総長は「マンデラ氏は崇高な慈悲の心を体現した人物だ。

彼は道を示し、世界を変えた。その偉業に心から感謝しよう」とするメッセージを寄せました。



 世界各地ではマンデラ氏の功績を振り返る写真展や映画の上映会など、さまざまな催しが行われているということです。









 私も、病院務めの時代に、少しだけこの運動に関わりました。

 南ア製品の不買運動に参加したり、『遠い夜明け』という映画会をやったり、

 また反アパ運動の指導者を、院内に迎え、講演会ももたれました。

 でも20年も経つと、記憶がホトンド跳ん飛んででいますがね。

 当時お世話になった、東大阪の反アパの方たちとも、いまや疎遠になってしまいました。

 

 一つだけ、はっきり覚えています。しょうもない下種話で、恐縮ですが・・・。

 講演会の後の、歓迎食事会のことです。

 当時の労働組合の委員長が(現在は病院長ですが)、自己紹介で「マイ ネイム イズ ナカタ」

 と言った時のことです。クスクスと笑うのです。

 何が、おかしいねん?

 よくよく通訳から事情を聞くと、ナカタとは南アフリカでは、女性器の事だと言うのです。

 もう、苦笑するしかあるめえ。大声で「私は、女性器です。」なんて、言うもんだから・・・。

 病院長さん、覚えていますかねえ?

 

 さて、マンデラさん。今から20年前の1990年10月28日、大阪にやってきました。

 大阪の「扇町プール」(今は改築されましたが)で、大規模な歓迎集会が催されました。(下の写真)

 当然、私たちもこぞって参加しました。



  これは、来日を記念しての「バンダナ」「箸入れ箱」です。













 この3年半後には、選挙で勝ち、大統領になりました。

 5年勤めたあとは、政界から引退しました。 

 

 



 大統領就任中は、現在もですが、南アはかなり厳しい現状のようです。

 30%の失業率、日本の10倍の犯罪数、妊産婦の30%弱がエイズに感染、15歳から49歳のエイズ感染率は、

 なんと22%。国民の4~5人に一人 がエイズ感染者です。等々。



 でも、サッカーW杯は、どうにか成功したようですね。

 マンデラさんも、誘致に向けて相当陰で尽力されたようです。

 サッカーW杯の閉幕式に参加された様子が、記事にでていました。引用しておきます。



マンデラ氏が閉幕式出席







閉幕セレモニーに出席した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領(左)とグラサ・マシェル夫人(共同)



 南アフリカの「人種融和」の象徴でノーベル平和賞受賞者のネルソン・マンデラ元大統領(91)が11日、ヨハネスブルクのサッカーシティー競技場で開かれた南アW杯の閉幕セレモニーに出席し、観客らに手を振ってあいさつした。



 マンデラ氏はカートに乗って競技場の中央に現れ、約5分間、観客席に満面の笑みを振りまいた。発言はしなかったが、マンデラ氏の姿に大きな拍手がわいた。



 マンデラ氏は南ア国民に絶大な人気を誇り、6月11日の開幕セレモニーでも出席するかどうかが国民の高い関心を集めていた。しかし、ひ孫の少女(13)が前日の10日夜、交通事故で死亡。同氏は「式典に参加するのは不適切」と判断、欠席していた。




 カストロといい、マンデラといい、90歳前後の方が、これだけ頑張っている。

 50歳代は、まだヒヨコか?


カストロ、不死鳥のごとく、復活か?

カストロ前議長、不死鳥のごとく、復活か?



 キューバの カストロ前議長が、不死鳥のごとく、飛んでいます。

 この8月13日で、84歳になろうというのに、です。



 来る7月26日は、キューバ革命の原点とも言うべき「モンカダ兵営」襲撃57周年になります。

 病気療養を兼ねながら、その闘いの本を執筆中だと聞かされていましたが、

 なんのなんの、この一週間は、飛んで、飛んで、飛んでいます。

 公の場所への登場は、実に4年ぶりです。

 

 ①7月7日には、 中央科学研究所(CNIS)を訪問しました。

   1965年に設立されてCNICの、45周年記念の集まりでした。

   これについては、以前の私のブログで紹介したので、それを参照してください。



   



 ②7月12日には、「世界経済研究所」を訪問し、研究者との間で、活発な議論を闘わせました。

   カストロの主な主張は、1)中東における「新たな戦争の危険性」、と

   2)「地球環境破壊」についての、厳しい指摘でした。



 ③同日には、国営テレビのインタビュー番組『メサ、ロンダ(ラウンドテーブル)(円卓)』に登場しました。

   テレビですから、事前収録されたインタビュー映像です。

  格子模様のシャツにジャンパーというラフな格好で、小机に向かって座り、

  「戦争の危険が迫っている」ことを、熱意を込めて、警告しました。



   もっとも危険なのは、米国とイスラエルによる、イランにたいする戦争の危険であると。



   また韓国の哨戒艇「天安」の沈没について、

   「最も近代的な、北米の技術による特殊な金属が使用されている。

   東アジア地域に対立を引き起こすために画策されたもの」と、

   米国と 韓国によるでっち上げと、北朝鮮にたいする戦争の危険について非難しました。

   

    



 ④7月13日には、ハバナの「世界経済調査センター」での討論会に参加しました。



  

          熱弁を振るうカストロ前議長

          7月14日12時21分配信 時事通信



 ⑤7月16日には、キューバ外務省を訪れ、各国駐在の大使を前に、

   「米国やイスラエルによるイランや北朝鮮への攻撃の危険性」について、警告を発しました。



   



 これが、この一週間の行動です。あの衰弱していた頃とは、雲泥の差です。



 しかも、それだけではありません。

 7月12日付けのキューバ共産党機関紙『グランマ』には、長文の論説を載せています。

 題は『戦争の起源』です。

 内容は、この間主張している、「戦争の新たな危険性」についての厳しい指摘です。



 カストロは、国家評議会議長(国家元首)は引退していますが、キューバ共産党の第一書記

 は、まだ任務を継続していますから、(きっと、命が続く限り、任務をまっとうされる決意でしょう。)、天晴れ

 というほか、言葉が見つかりません。



 カストロがここまでに、老体にムチを打って発言しているその諸事実を、

 最大の警戒心を持って、私たちは凝視すべきではないでしょうか!!

   

 

「石油流出」が止まったって?本当かな??

メキシコ湾の「石油流出」が止まったって???



 7月16日の新聞報道によれば、メキシコ湾の「石油流出」が止まった、らしい。

 ここまできて、さすがの厚顔「BP社」も、まさかウソは言わないだろうね。

 信じたらあかん、てか?フーム。「まゆにつば」をぬって、いちおう、聞き置くことにしよう。



 仮に成功ならば、5回目の作戦で、何とか「国際石油資本」としての体裁を保ったというところか?

 原理は簡単で、高さ5.5メートル、重さ75トンのキャップ(ふた)をかぶせただけ。

 子供だまし、みたいです。そう簡単には信用しがたい話なのです・・・。



 でも、キューバとは目と鼻の先、ハリケーンの時期だし、キューバにまで流出すれば、

 キューバの経済から環境に至るまで、「致命的打撃」になることは、間違いない。

 そのときには、「アメリカとの新たな闘いの火種」になるだろう。

 キューバのためにも、とりあえずは、子供だましの方法でもいいから、ウソでもいいから、止まってほしいものです。

 

 

 ちなみに、「止まった」という、信用しがたい「新聞報道」を紹介します。







 メキシコ湾の原油流出止まる 英BPが発表 オバマ大統領も歓迎  

                                               2010.7.16 07:57

      このニュースのトピックス:米国



 

  メキシコ湾の原油流出現場で、油井に設置された密閉ぶたの様子を撮影したBP社の映像(ロイター)

 

 【ワシントン=渡辺浩生】

 米南部メキシコ湾の原油流出事故で、英メジャー(国際石油資本)BPは15日午後(日本時間16日早朝)、

 海底の油井からの原油流出が止まったと述べた。

 油井に取り付けられたふたのバルブ(開閉弁)を閉じたところ、停止したもので、

 4月20日の石油掘削施設爆発事故以来、流出が止まったのは初めて



 事故は米史上最大の環境汚染と沿岸地域の大きな経済被害をもたらしたが、

 政府とBPが続けてきた封じ込め作戦の最大の進展となった。

 オバマ大統領は「明るい兆し」と歓迎した。



 BPは同日、油井に新たに取り付けたふたの機能と密閉性を調べる試験を開始し、

 3カ所のバルブをゆっくり閉めていった。

 バルブの閉鎖によって原油の漏出が停止したことが確認され、

 BP当局者は会見で「メキシコ湾に油が流れ出ていないことをうれしく思う」と発表した。



 ただ、試験は最大48時間をかけて、油井内の圧力状態を詳細に調べる予定で、

 その結果、政府とBPがバルブの閉鎖を続けるか否かを判断するという。



 BPは並行して油井に向けて2カ所の救援井戸を掘り進めており、月末にも完成する見込み。

 流出を完全に封じ込めるには、これらの井戸を通じて油井にセメントを流し込むまで待つ必要がある。





 この事件に思うこと、雑感。




①この事故は、起こるべくしておこったものです。




  

  すでに世界の石油は、埋蔵量の半分以上が使われてしまいました。(ピークオイル

  残りの半分は、かなり取りにくい場所にあります。

  残り半分は、まず全部は取れません。これ、常識



  私も、今年の梅の実を取るのに、半分ほどは、簡単に取れました。

  でも、残りの半分は、かなり難しい。木に登ったり、キャタツを使ったり・・・。

  途中で、あきらめました。技術的に、無理なのです。

  無駄な大金を使えば、可能かも知れませんが・・・。

  石油も同じことです。



  今回の採掘場所も、技術的にも困難な、1500メートルの深海です。

  それも、危険極まりない、沖合いです。

  沖合いの採掘は、これまでは禁止されてきました。当然といえば、当然です。

  それを、あのイラク戦争をおっぱじめた、悪魔ブッシュが、認めたのです。



  「営利追求」のために、「経費削減」を至上命令に、BP社は、無理に無理を重ねて、・・・・。



  爆発事故の6日前には、BP社の内部のエンジニアが、この油井を「悪夢」と呼び、

  事故の可能性と「対策」を、本社に提言していました。

  それを、経費削減で無視しました。

  利益を度外視して、大枚をハタイテ、防止策をとっておれば、あるいは、・・・?



 この事故は、遅かれ早かれ起こるものだったのです。



 



②「石油」や「原発」に頼らない生活を目指そう!



  今回の事故は、人類に対する「警鐘」ではないでしょうか?

  石油に頼らない生活をしなさいよ、という。

  石油に頼ったは生活は、いずれ破綻します。

  石油がなくなるだけでなく、CO2排出による環境破壊

  こちらの方が、より深刻かも知れませんね。



  だから「原発」が必要なのだ、なんて馬鹿なことは言わないでください。

  原発も、事故が起こる危険性は、石油探索と同じレベルです。

  事故による被害は、はるかに大きいでしょうが・・・。



  昔、アメリカで、ある原発の作業員が失恋して、自殺しようと「制御棒」を引き抜いた事故がありました。

  事故なんて、ちょっとしたことでおきるのです。しかも、人間にミスはつきものです。

  「絶対安全」なんて、ないでしょう。



  我がフアームの近くでは、「浜岡原発」が、あやしい。なんせ「東海大地震帯」の真上ですから。



  エネルギーを「バカスカ」使う、生活とは「おさばら」して、もっとシンプルな生活を。

  キューバこそが、その見本なのです。

  これは我がフアームのモットーでもあります。



  ちなみに我がフアームでは、お茶も、米を炊くのも、お風呂も、水道水ではなく、谷水を使用しています。

  しかも、を多用しています。石油のいる耕運機は使わずに、人間動力で。

  



  



  



  



  シンプルライフ イズ ベスト。





  





鬼鷲~琉球王尚巴志伝~ 東京・大阪公演決定

現代版組踊絵巻 

 鬼鷲(うにわし)~琉球王尚巴志伝(しょうはしでん)~ 

東京・大阪公演決定


 

 今日、朝5時半に、いつものように『みのもんたの朝ズバッ!』を見ていると、

 みのもんたが「今日(7月14日)は、あの日ですね」と言う。???

 何の日だっけ?

 「あの日ですよ。フランス革命の記念日ですよ」と言う。そうか、あんたは、偉い

 寝ぼけ眼なのに、開口一番に、「フランス革命記念日」を指摘するとは。参った。

 1789年のバステイーユ牢獄の襲撃から、フランス全土に広まった、フランス革命。

 「民主主義」を語る上で、よけて通ることのできない歴史である。

 みのもんた、に負けるとは、つらい。

 でも、これを論じる能力と余裕は、ないので、またの宿題にしときます。

 



 さて、今日、いつものように、NHKラジオ第一の「ラジオビタミン」の

 「ときめきインタビュー」を聞いていたら、

 以前、私のブログでも紹介した、今、沖縄で、若者に圧倒的に人気のある人物、

 現代版組踊 『肝高(キムタカ)の阿麻和利(アマワリ)』 の演出家、

 平田大一(ヒラタ・ダイイチ)さんが出演していました。 

 1時間ほど、さまざまなことを語ってくれました。

 文化で、地域を活性化させた人物として、全国の教育関係者が、

 最大の関心を持って、注目している人物です。

 声だけ聞いていると、あの宮崎県の知事ソックリでした。



 



 彼の半自伝のドラマ「キムタカ」が、

 沖縄で放映されました。本土では、残念ながら放映されていないようです。

 著書「キムタカ」は手に入るので、是非購読してください。



 



 彼は沖縄に新たな文化を、それこそ「革命的」ともいえる文化を、作り上げようとしている、

 いや、作り上げた、人物です。

 これまでの観客動員数、実に11万人。驚くしか、ありません。

 みんな、地元沖縄の小・中・高校生が、演じているのです。



 不登校の子が、学校に行くようになった。

 将来の目標を持てなかった子供が、変わっていった。

 大人たちも、変わっていった。

 地域が再生していった。



 その彼が、新たな現代版組踊絵巻「鬼鷲~琉球王尚巴志伝」を、引っさげて、 東京と大阪にやってくるというのです。



 この機会を逃す手はありません。今すぐに、チケットを購入しよう。

 私は、早速インターネットで、吹田のチケットを予約しました。

 まだ、間に合うようです。

 見る価値がある、と断言できます。だまされたと思って、買いましょう。



  8月8日(日)大阪・吹田公演



 時間  18時30分開演

 場所   メイシアター(吹田市文化会館 大ホール)

       大阪府吹田市泉町2丁目29番1号

       入場料金 4,500円(全席自由席)

 主催   吹田市・吹田市教育委員会     

 共催   「尚巴志伝」吹田公演実行委員





 8月10日(火)大阪・松原市公演



 時間  18時開演(17時30分開場) 

 場所   松原市文化会館 

        

       入場料金 

       前売り 大人2000円 高校生・大学生1000円 中学生以下500円 

       当日  大人2500円 高校生・大学生1300円 中学生以下700円 



 主催   松原市・(財)松原市文化情報振興事業団  

 販売   6月12日(土) 午前9時から、松原市文化会館・ゆめ二ティプラザ・ふるさとぴあプラザ

 問合せ 松原市文化会館





 

  8月12日(木)東京公演



 時間  [昼の部] 開場14:00 開演14:301

      [夜の部] 開場18:30 開演19:00

       (S席5,000円)(A席4,000円)



 場所   よみうりホール(有楽町・ビックカメラ7F)

       東京都千代田区有楽町1-11-1 読売会館7階

  連絡  尚巴志伝 東京公演事務局

       東京都豊島区東池袋3-1-3ワールドインポートマート6F(株式会社セットアップ内)

       TEL:03-5954-8037 FAX:03-5954-8028 E-maiI: shohashi@setup-co.com



















 
ワンコウォッチ[ジュエリック・シルバー]
プロフィール

    「ぎーやん」

Author:    「ぎーやん」
 定年を待たずに退職し、長年の夢だった「自給自足的生活」に、無謀にも挑戦しています。
 たった一人で、日夜、鳥獣と格闘しながら、「クーバフアーム」と名付けた里山を、試行錯誤しながら、切り盛りしています。場所は三重県の山奥。奥伊勢の一角です。
 おかげで今や、スリムな肉体に大変身。この1年で、10キロの体重減。なにやら栄養不足の影の声も・・・チラホラ?
 毎日を、上の写真のような笑顔ですごしたいものですネ。
この似顔絵は、元同僚の、招来猫子さんの作です。

連絡先 
(メール) giyan@ma.mctv.ne.jp   
   クーバフアーム所長   まで。

 

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